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V LEAGUE

HISTORY

1974第8回 日本リーグ

MEN

日本リーグ男子には「世界クラブカップ選手権に出たチームは次のリーグで優勝できない」というジンクスがあった。事実、’71年の日本鋼管、’72年の松下電器、’73年の日本鋼管と、それぞれ前回リーグの覇者がクラブカップに出場したが、帰国後のリーグでいずれも優勝を逸した。ところが、新日本製鐵は、このジンクスを打ち破って2連覇。通算3度目の優勝を飾った。
前年夏に手首を骨折した田中幹保が戦列復帰。綱脇隆二、辻合真一郎も順調に育ち、セッター柳本晶一もツー攻撃に威力を増しての勝利。相手レシーブの穴をついたサーブも効果的だった。
一方、名門の松下電器は最下位と言う不振。故障者続出のアクシデントに見舞われての苦戦だった。
好セッター飯塚昭夫は狭心症。代わって18歳の桐畑繁を司令塔にとしたが練習中にケガ。12月には、若手の成長株、松村勉が車の事故で大ケガといった不運。加えて、エース横田忠義まで骨折。これには、上野監督もがっくりだった。

WOMEN

第8回リーグには男女を通して初めて、外人選手が登録された。三洋電機群馬の選手だったが、結局試合には出場しなかった。
その三洋電機は、前田悦智子、小山光枝の両エース、北島通子、高城至月子といった進境著しい選手を抱えていた。プレーヤーの中で目立ったのは、日立武蔵の 白井貴子とヤシカの飯田高子の二人。世界の大砲といわれる白井は、リーグでは移動攻撃、時間差攻撃、速攻と機関銃的な攻め方も披露し、日立優勝に大きく貢 献した。
一方、飯田は47.2%の高決定率でスパイク賞を獲得。ブロック賞も4年連続で獲得し、「動く芸術品」と形容されるほどの活躍ぶりだった。
また、この年は天井サーブが大流行。特に富士フイルムは、全員がこの高い高いサーブを打つ。そもそも考えだしたのが富士フイルム。日立戦で用いたのが最初だった。当初、命名も「スカイサーブ」、上げるをもじって「天ぷらサーブ」などといろいろにぎやかだった。